【幸せについて本気出して考えてみた】
だいたい私ぐらいの年齢の人だったらカラオケの際ポルノグラフィティを歌っておけばどうってことはない。
職場、合コン、どんな社会的なカラオケでもポルノグラフィティをなんの恥じらいもなく歌える者がこの世の勝者なのです。
そこで変に自分の趣向を取り入れようとしてしまう中途半端な自尊心、もしくは音楽に対する変なプライドがある人が敗者です。多分こんなブログ読んでるぐらいだから私もあなたも敗者です。
the loose dogsなわけてす。あっちの端からこっちの端までシラケてしまうというものです。
社会的カラオケでいうと、
「もう一回!」
って素直に言えるほどの厚顔無恥な精神を持ち合わせていれば
あなたはもう大丈夫です。
人見知りで引っ込み思案な私はそのあとの
「うーっいぇい、うーっ、うーいぇいっうー/"#}?+`P`+{+*+>~0o8i@uoiあいしあうー」
の下線部ところでしか合いの手を入れることができません。
その場の空気をうまい具合に調節することが幸せなのか、ポルノグラフィティを歌わず自分のプライドを貫くのが幸せなのか、それは人それぞれです。
誰しも幸せになりたいですね
「多幸感」と最近楽曲が形容されること、ありますね。
幸せって数なのでしょうか
質ではないのでしょうか
・カバヤの40個入りの幸せアソート
・ゴディバの箱入りの幸せ
どちらが幸せなのでしょう?
幸せならどちらでも嬉しいですね
幸せを感じる音楽
私はそれを「幸楽」と名付けます。
小学生の頃一番ハマっていたことは、
この曲が流れ始めると終わるまでに家中に家族全員の布団をしくことでした。
冬場は息を切らして敷布団や毛布、掛け布団等一式タンスから引っ張り出してメイキングしていました。
毎週木曜はなぜこれに夢中になっていたのか、
今となっては本気出して考えてみても誰にも分かりません。
ただ、曲が終わるまでにすべて敷き終えたtenngu少年は、それはそれは多幸感に包まれていたような気がします。
tennguman