清宮と宇宙コンビニ
タイトルで出オチ感があります。
甲子園、あまり見ないんですが、夏だなと感じる材料としてたまに眺めます。
しかしもう、夏は終わった。らしいです。
早稲田実業の清宮選手の夏は。
大物選手としてマスコミも過剰な期待をしましたが、残念ながら甲子園出場を果たすことはできませんでした。
『清宮の夏は終わった』そうマスコミが言っていました。
できれば私の夏も早めに終わってほしいのですが。
過剰な期待を寄せられているのを見ると、やはり嫉妬というか、ヘイトの矛先になるものです。そうなると素直な心で応援することは難しくなります。人間の弱いところですね。人々は彼のぽっと出の実力派感が鼻につくのです。
逆に実力は十二分にあるのに、いつもノーヒットノーランを逃すようなある意味の弱さを見せる、元西武の西口選手みたいなベテランはつい応援してしまいます。
そんなもんです。
さて、
2013年
日本のバンド界に現れた、清宮。
そう、またの名を「宇宙コンビニ」と言います。
2012年1月結成、京都発3ピース ”プログレッシブ ポップ” バンド。
様々なジャンルを通過した音楽性から個々の解釈でポップに消化し、独自の世界観を産み出す。
平均20歳そこらで突如現れ、このサウンドです。
英語の授業で妙に発音がいい奴が発表した時の雰囲気に似てます。
実際に1stミニアルバム「染まる音を確認したら」を聞いたときはそんな気持ちになりながらも何度も何度も聴きました。
「こいつらこっからどうすんだよ...怖えぇよ...」と謎の恐怖を覚えました。
しかしその心配は不要のものとなりました。
宇宙コンビニは2015年、わずか2年で解散しました。
この期待の新人が甲子園出場ならず、解散してしまったわけです。
私はこの早すぎる解散に対して悲しみもあったわけですが、
なぜか少し安心してしまったのです。
この解散が宇宙コンビニが初めて見せてくれた隙のように感じたのです。
英語の発音が流暢なクラスメイトが日本語は訛っていたような、
そういう隙ではじめて心から好きだと思えるようになったんです。
今はメンバーそれぞれ別のバンドを頑張っているようです。
清宮選手もきっとプロ入りは間違いないのでしょう。
夏が終わってしまっても、次のステージの夏は待っています。
彼らの今後の夏に期待しています。
なにせ毎年夏はやってきますから。
tennguman(冬が好き)
【幸せについて本気出して考えてみた】
だいたい私ぐらいの年齢の人だったらカラオケの際ポルノグラフィティを歌っておけばどうってことはない。
職場、合コン、どんな社会的なカラオケでもポルノグラフィティをなんの恥じらいもなく歌える者がこの世の勝者なのです。
そこで変に自分の趣向を取り入れようとしてしまう中途半端な自尊心、もしくは音楽に対する変なプライドがある人が敗者です。多分こんなブログ読んでるぐらいだから私もあなたも敗者です。
the loose dogsなわけてす。あっちの端からこっちの端までシラケてしまうというものです。
社会的カラオケでいうと、
「もう一回!」
って素直に言えるほどの厚顔無恥な精神を持ち合わせていれば
あなたはもう大丈夫です。
人見知りで引っ込み思案な私はそのあとの
「うーっいぇい、うーっ、うーいぇいっうー/"#}?+`P`+{+*+>~0o8i@uoiあいしあうー」
の下線部ところでしか合いの手を入れることができません。
その場の空気をうまい具合に調節することが幸せなのか、ポルノグラフィティを歌わず自分のプライドを貫くのが幸せなのか、それは人それぞれです。
誰しも幸せになりたいですね
「多幸感」と最近楽曲が形容されること、ありますね。
幸せって数なのでしょうか
質ではないのでしょうか
・カバヤの40個入りの幸せアソート
・ゴディバの箱入りの幸せ
どちらが幸せなのでしょう?
幸せならどちらでも嬉しいですね
幸せを感じる音楽
私はそれを「幸楽」と名付けます。
小学生の頃一番ハマっていたことは、
この曲が流れ始めると終わるまでに家中に家族全員の布団をしくことでした。
冬場は息を切らして敷布団や毛布、掛け布団等一式タンスから引っ張り出してメイキングしていました。
毎週木曜はなぜこれに夢中になっていたのか、
今となっては本気出して考えてみても誰にも分かりません。
ただ、曲が終わるまでにすべて敷き終えたtenngu少年は、それはそれは多幸感に包まれていたような気がします。
tennguman
はじめまして
tenngumanと申します。
芸術家に憧れ、バンドマンを経て、結果ど田舎で細々と地味な仕事をしています。
家は少し貧乏でしたが、今まで何の不自由もなく、滞りなく、少し病弱でしたが、それでも大人の仲間入りまで順調に育ててもらいました。器用な母と天才肌の父の子ですので、失敗、挫折といったことを経験せずにこの歳に至りました。薄っぺらい半生です。
少し前にそんな父が亡くなりました。なにしろ父親を亡くすのは初めてのことでしたのでわんわん泣いておりましたが、「泣くほどのじじいでもないな」と急に思えてから遺品整理をはじめたのです。
音楽がまあまあ好きだった父のCD棚には、生前「俺は拓郎と陽水の葬式には行くぞ!(苦手だった)飛行機に乗ってでも東京に行くぞ!」と息巻いていたほど好きだった吉田拓郎や井上陽水、昔から車でかかっていた玉置浩二あたりがずらりと並んでおりました。(もちろん陽水も拓郎も父の葬式には来ませんでした)
父との思い出が蘇るCD達に涙が溢れそうになりました。数は多くはありませんでしたが、そのぶん何度も何度も聴いてきた曲ばかりなのです。興味が無いのにいつか覚えてしまったおじさんたちなのです。父の通夜に揃う懐かしの親戚たちの中に拓郎も陽水も現れ、一緒にフォークでお経を唱えてくれた、そんな気さえしました。
しかし、その中にひとり、いや、ふたり。確実に父と縁もゆかりもないやつらが堂々と線香をあげにきていたのです。それも陽水と玉置浩二の間に恥ずかしげもなく割り込んでいたのです。
キャチザウェ
カンジテー
ソノーテヲーアーワーセーテー
合掌
死んだ父は生き返りました。 てか死んでません。すみません。
言いたいことは以上です。
tennguman(みんなだって悩んでる)