虫は光に集り、僕は暗闇に吸い寄せられる
「暗いな。」
僕はクラスの友人たちに最近ハマっている曲を聴かせた。
「暗いな。曲もそれを嬉々として聴くお前も。」
2007年、僕は空前の柴田淳ブームの中にいた。
中学生の頃はバンプとTHEイナズマ戦隊ばかりを聴いていた僕が、中学卒業を控えた冬、突然シンガーソングライターに目覚め、聴く曲のテンポはみるみる下がった。
竹仲絵里、奥田美和子、たむらぱんなどを経由した結果、柴田淳に惹かれた。
柴田淳の、そのどうしようもない、底抜けに暗い、世界観に惹かれたのだ。
Syrup16gでもなく、ART-SCHOOLでもなく、他でもない柴田淳の暗さに、僕は完膚なきまでに飲み込まれたのだ。
それまでの僕は特段暗くもなく、明るくもなく、毒にも薬にもならない立ち位置にいた。
思春期のアイデンティティと言ってしまえばそれまでであるが、日によってふわふわと人格が変化した。
そんな僕が、どんどん暗くなった。
今になって「あれは柴田淳の影響だったんだ」と切り捨てることは簡単だが、きっと当時は今では思い出せないほど些細な何かと毎日戦っていて、消耗していたのだと思うし、学校生活や思春期特有の不安感などもあって暗くなったのだと思う。
でも、その暗さの原因に、柴田淳がいたことは、紛れもない事実だった。
暗いといえば、その頃から暗い部屋がたまらなく好きになったのだ。
まずはビレッジヴァンガードの内装。外の光は入り口で阻まれ、中に入れば入るほどディープな景色が広がった。本屋と謳っているが、参考書などある気配もなく、近所の本屋さんでは見たことのない、よくわからんサイズの本がたくさんあった。僕は何度か通ううちにいつの間にか自分の部屋にはブラックライトがあり、意味わからん色で上下する謎のスライムのような泡のようなよくわからんやつと、天井には暗闇で光る星とスマイリーが微笑んでいた。
勉強机の電気も、部屋の電気も全然つけずに僕は暗闇の中の景色を楽しんだ。
暗闇の中で僕はMDウォークマンを取り出し、「柴田淳〜陰〜」と書かれたMDをセットする。柴田淳の中でもとびきり暗い曲が入っている僕のとっておきのMDだ。でもMDのストックがなく、オレンジレンジのファーストを上書きして作ったので、ギラギラに赤くて派手なMDだった。意味わからん色で上下する謎のアレを眺め、楽曲に想いを馳せた。「暗闇の中でこそ見つかる落ち着きが柴田淳なんだよなぁ」なんてことを毎日毎日思っていた。
明るい世界では天井の星々やスマイリーは光らないけれど、僕が灯りを消すと、彼らはぼんやりと現れた。思春期の僕はこの暗闇の中の景色を知れる人になろうと思った。
『世の中には明るい人がたくさんいて、その人たちが気づけない暗闇の中の光を知ったらきっともっと優しい人になれるだろう。』
なんて「生物」と表紙に書いた、「生物ではない何か」のノートに書いた気がする。いててててて。厨二病というかなんというか居た堪れない気もするけど、なんというか、とても共感した。無論、それを書いたのは僕だから当然なのだけど。
今大人になって、「暗い」自分はそのままだ。今でも暗い部屋は大好きだし、一般的部屋の電気消すときのラスト一個のあの赤っぽい電球ぐらいの明るさの部屋で毎日過ごしているし、こんなブログで毎回暗い記事ばかり書いている。あの意味わからん色で上下する謎のアレは、多分捨てた。
大人になって気づいたことはあの頃の僕が思っていたほど世の中には明るい人が多くはないということだった。
きっとみんなあの天井の星の光を知っているんだと思う。それただ話さないだけで。
あの天井の光は自分だけのものだから、誰とも共有しない。このなんでも共有する世の中で、共有しないことはとても贅沢で、ワクワクする。
そいうえば、今日は夏至だ。
暗いのが大好きな僕が最も忌むべき日だ。なんて日が長いんだ。
スターバックスでは「Delight in the Night」というイベントが行われているのをご存知でしょうか。夏至の日には店内の一部の照明を消灯して、キャンドルライト等でいつもと違う雰囲気を楽しめるそうだ。
これは行くしかない。と車を走らせ、スタバに向かう。飛んで陰に入る夏の僕。
たどりついたスタバはカンカンに照明が光っていた。
「あーウチじゃそれやってないんですよーwwもしかしてそれ目的でわざわざ来られたんですか?」
「あ、いや、その、たまたまです...へへ」
腹いせにここで暗いブログでも書いてやろう。
そういうわけだ。
tennguman