バベルに問う

攻撃力1300、守備力2000、ホスピタリティ精神0

バベルに問う

ゆで卵じいさんと氷水ばあさんと、来ないバス

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

企画に参加してみよう。今日が締め切りということだけど、記憶に残ってる、あの日?んなもんいっぱいあらぁ!

記憶に残る『あの日』と言われ、いっぱいあらぁの中から最初に浮かんだことこそあの日 of Life。僕はそれについて書こう。

 

比較のしようがないけど、僕の人生はそれなりにドラマチックだと思う。でも何故か選ばれたあの日of Lifeは、それは意外な「あの日」だった。

幼少の死にかけるような大怪我をした日でも、高校生の時に組んだバンドの友人の家で徹夜でパンクロックを聴きながら人生初の酒を飲み、そのまま文化祭の大舞台で人生初ライブをした日でもなければ、高校の時から一番好きだった憧れのバンドに自分たちの作った曲を評価してもらって、一緒にライブできた日でも無い。当然、あまりの暇さに一日中エレベーターの前で回り続けた幼稚園児のあの日でもないよ。

 

もっと、ぼんやりとした、白昼夢のような日だった。

 

 

 

 

奇跡。もしくは、夢のような。

 

これを読んでいるあなたの一番の奇跡とは何だろう。

そもそもこの世に生まれたことが一番の奇跡だ。ってそりゃそうだ。もう一生分の運を使い果たしたって言ってもいい。生まれた瞬間に一生分の運を使い果たしているってそりゃ望みの無い人生だな。まぁそれでも運のお釣りぐらいは少しぐらい残ってんだろう。小銭ぐらいの運が。

 

どのぐらいから奇跡と呼ぶのだろう。

僕が今ハマっているスマホゲームの「原神」の最高ランクである星5キャラを引く確率は0.6%だそうだ。これを1回で引くのは相当ラッキーである。でもそれは所詮試行回数次第だ。1回で引けたら奇跡めいている気がするけれど、僕は目当てのキャラのために食事を切り詰め、電気代やガソリン代などを犠牲に何度も試行する。この結果引いた星5キャラなんて奇跡でもなんでもなく必然なのである。

 

 

生きてりゃいろんな人と出会い、いろんなものを見て、いろんな話を聞く。

それらの試行回数なんてもう僕がガチャを引く回数なんかとは比べものにならない。

 

そんな膨大な試行回数をもってしても、「これは奇跡だな」と思えるような「あの日」のことを真っ先に思いついたのだ。

もしかしたら夢だったのかもしれないほどに奇跡の日だった。

 

 

 

 

 

 

それは、半袖の制服が少し肌寒く感じるような秋直前だった。

 

僕は高校から家まで、さまざまなルートで帰れた。そりゃもう選択肢が多すぎるほど。気分次第でころころと帰路を変えるのが楽しみだった。

その日僕が選んだルートは、「最も時間がかかるけど、歩く距離も短く済むルート」だった。

具体的に言うと、バス停で1時間待つことになるけど、家の近くまで乗せてくれる幻のバスに乗ることにしたのだ。

1時間もあれば家まで歩いて帰れるのだけど、まぁ僕にはiPod touchがあった。つまりこの寒くなりゆく最高の季節を感じながら最新のデバイスで音楽を1時間も聴けるのだ。思うにこの日の僕は、好きなバンドの新譜を入れたばかりだったのではないかと思う。

 

誰もこんな寂れたバス停でバスなんて待っていない。僕は一人で長椅子に腰掛け、音楽を満喫していた。

数曲聞いたところで、僕の右側からじいさんが歩いてきた。そしてそのままじいさんは僕の右隣へ腰掛けた。

 

 

僕は少しボリュームを落とした。少しテンションも下がる。

 

 

「……」

 

 

「…………」

 

 

トントン

 

 

 

音楽で遮るのも限界だった。

じいさんはこちらを見ている。

そして肩をトントンする逆の手には何かが握られている。

 

ついに僕はイヤホンを外した

 

 

「ほら、ゆで卵」

 

 

なんだ、じいさんが握っていたのはゆで卵だったのか。

 

「ゆで卵!?」

 

それは無垢な高校生だ。気づけばじいさんの手にゆで卵はなく、代わりに僕の手にゆで卵があった。

人生十数年でバス停で見ず知らずのじいさんからゆで卵をもらうことになるとは夢にも思わなかった。

どうするのが礼儀だろうか、食うのがいいのか?遠慮して返す?なんとなくだけど、ありがたく受け取ってカバンに入れるのが正解な気がした。

 

そんな動揺しきった僕を見てじいさんは気持ちを察してくれた。

 

「そうだよな、そりゃあ困るよな。」

 

そうだ。困る。できれば渡す前に気づいて欲しかったがナイス察しだじいさん。

そして、残念そうに僕の手からゆで卵を取り上げた。

 

 

 

バキバキバキバキィ!!!!!!

 

 

 

「殻はいらんよなぁ」

 

 

殻を剥いたゆで卵は秋空の下、ツヤツヤと光り輝いていた。

それと同時にカバンに入れるという唯一の逃げ道を無くした。

そしてまぁこれは奇跡でもなんでもないのだけど、当然、ティッシュに包んだ塩もくれた。ゆで卵をバス停で突然渡して、殻も剥いたなら、塩は必須だよね。

左手にゆで卵、右手にティッシュに盛られた塩。食べ盛りのわんぱく小僧か。こちとら文化部だ。

 

観念した僕は、いよいよ食べることにした。

毒とかなんとかいろんなことを考えたけれど、不思議と諦めがついた。もう毒でもいいや。と思った。

 

殻を剥いた白身は凸凹の一つもなく、黄身は程よく色が濃く残り、頃合いの良い湯で時間であった。

きっとゆで卵を普段から作り慣れているのだろう。努力の味がした。この塩をつけて…ああ、なんか悔しいけど美味しい。

 

 

「美味しいです…」

 

 

「…」

 

 

ゆで卵くれる大胆な距離の詰め方してきた割に無口だなこのじいさん。

 

また静寂が訪れる。秋とはそういう季節だ。

 

ゆで卵を食い終わる頃、今度は左側からばあさんが歩いてきた。

僕の予感は的中し、ばあさんは僕の左に座った。

3人座るのがやっとの長椅子に右からじいさん、僕、ばあさんがピッタリとくっついて座った。

 

座るや否や、婆さんがこう言った。

 

 

 

 

「はい、氷水」

 

 

 

ばあさんは水筒から水を注いで僕に差し出した。

ゆで卵を食って喉がカラカラだったんだ。おっ気がきくねぇ。ってそんなわけない。

しかもなんだ、氷水?呼び方「水」でよくない?

まぁ一度死んだ身だ。もう水だろうが氷水だろうが熱湯だろうが飲んでやろうじゃないの。

 

 

「っっっっつつつつ!!!!」

 

 

あまりの冷たさに僕の体温は一気に奪われた。

確実にこの世のものではない冷たさだった。

それはは氷水だった。

水ではなかった。舐めていた。これは氷水だ。This is cold water.

これは教訓だ。バスを待っている間にみず知らずのばあさんから「氷水」と呼ばれるものを貰ったらそれは紛れもない氷水で、その温度を侮ってはいけない。まさに水知らず。大人になるって難しいぜ。

 

 

「あっ、冷たくて美味しかったです...」

 

 

「...」

 

 

 

氷水くれる大胆な距離の詰め方してきたのに無口だなこのばあさん。

 

またしても静寂が訪れた。さっきよりも肌寒い秋。

 

 

ここで気になるのはじいさんとばあさんが夫婦、少なくとも知り合いであるかどうかだ。

僕を挟んで互いに全く話す素振りはない。

偶然僕にゆで卵くれるじいさんと、氷水くれるばあさんが現れただけなのか。

 

 

 

 

「…」

 

 

セリフの用意されていないRPGの村人のようにもう誰も喋らない。

じいさんは黙ってゆで卵を食い、ばあさんは黙って氷水を飲んでいた。

僕がさっき体験した夢のような出来事は現実であると突きつけるようだった。

 

 

そしてバスが来てドアが開く。

もう1時間経ったのか。

 

 

僕ら3人はそれに乗り込み、当然のように3人バラバラの席に座る。

 

 

降りる時間はすぐにやって来て、僕はバスを降りた。

あのじいさんとばあさんはどこへ向かうのだろう。

気になったけど、気づけばとっくに陽は落ちていたので僕は急いで家路についた。

 

なんというか、すっかり秋だった。

 

 

 

 

tennguman