せんべいインザサイレンス
小心者と申します。
どれほど小心者かと申しますと、
レジに並ぼうとした時、ほぼ同じタイミングで並ぶ人がいると、買い忘れたふりをしてその場を去ったりします。air podsでハンズフリー通話をする時もiphoneを口元までなんとなくかざしてしまいます。
小心者なんです。
バスや電車で席を譲るかどうか微妙なラインの人が私の側に入ってきた時のことを考えると怖くて、席に座ることすらろくに安心してできません。
この根底には悪く思われることへの恐怖というものもあるのでしょうが、
良く思われることへの恐怖というものも少なからずある気がします。
レジの例をとっても「お先にどうぞ」と譲ればいいじゃないかとお思いの方もいらっしゃると思いますし、それはもっともだと思います。
しかし、私自身もそうですが、「相手に気を使わせてしまった」と譲られた側は罪悪感を感じることもあります。それを考えると、最善の手は譲られたことにすら気づかれないことです。
剣の達人に切られた相手が切られたことにも気づかないまま死ぬような、トムとジェリーやディズニーの類が崖まで突っ走って空中に数秒たたずんで落ちていくような、
プロというのは意識させない技も持ち合わせているものだなぁと思います。
私も小心者のプロとして、意識されないことをこれからも精進していきます。
また、私以外の小心者のプロの皆様へ、私の気づかないところでの御配慮にこの場をお借りしてお礼を申し上げます。あなた方から受けた恩は死んだじいちゃんばあちゃんあるいは神系の者たちの功績と勝手に解釈してこれからも感謝せずありがたく頂戴したいと思います。
職場のおばちゃんたちによくお菓子を貰います。それはもう食いきれないほど。
チョコ類はすぐ食べます。溶けますし。
ですが、まがりせんべいはどうでしょう。
おばちゃんおやつシリーズで絶大的シェア。
フジロックのアーティスト発表だったら第3弾。
はいまがりせんべいきた。はい、参戦。
ぽたぽた焼は知恵袋ひけらかしばばあの同族嫌悪なんでしょうか、あまりみかけませんが、
まがりせんべいの圧倒的安定。どこのオフィスでもきっと現れるでしょう。
しかしまがりせんべいは好きですが、まがりせんべいを突然もらってもすぐに食べる気がしないのです。
心のオーキドも「まがりせんべいには食べどきというものがあるのじゃ!」と叫びます。
そしてそっとデスクの引き出しにしまってしまいます。
そして数日後に思い出します。
そういや貰ったけど早く食べなきゃしけってしまうなと。その早く食べなきゃという気持ちでようやく袋開封に至るのです。
しかしオフィスは完全にまがりせんべいのことなど忘れて仕事に夢中なわけです。
これはバリバリ食って仕事の流れを曲げるわけにはいきません。
私は咳払いとともに渾身の手刀でまがりせんべいを一刀両断。
恐る恐る、かつ速やかにそれを口に放る。
私は口を閉じ、IKEAの壊れない椅子の耐久性実験の機械のように
優しく、ゆっくりと、歯でまがりせんべいを押しつぶします。
バ............リ...........バ..............................リ...........
私にはゆっくりだろうが早かろうがその音は聞こえます。
おそらく皆様一度や二度このような経験はあると思いますが、
これって他者に聞こえているのでしょうか。
聞こえていても誰も突っ込まないし、聞こえていなければ反応すらできません。
真実は闇の中。
しかし先日、実家にいた時のこと、午後9時、隣の父の部屋から
バ.........リ.........バ.............リ........
聞こえてきたのです。
なるほど、答えは「余裕で聞こえている」か。
私は翌日聞いてみました。
「昨日9時ごろこっそりせんべい食ってたよね」
答えはノー。
「そもそもなぜ家でこそこそせんべいを食わねばならんのだ」
それもそうだ。
真実は闇の中。
そして新たな疑問。あれは何の音だったのだ。
それが知れれば、もし聞こえていたとしてもその音の間違いじゃないっすかと罪を着せることができよう。
まっすぐ生きるのは難しい
tennguman
解説:バブはある程度小さくなると浮く。
最近引越しました。
4年住んだ家と別れて、新しい家にやってきて1週間、まだインターネットもありません。ガスコンロもねぇ。レーザーディスクは何者だ。
まだダンボール生活から脱却できていませんが、引越しで大変だったのは捨てるか捨てないか微妙なラインの判断。
この作業で一番時間を食った気がします。
具体的に言うと葬式のお礼?なんて言うかど忘れしたけど。塩と一緒にタオルとか入ってるあれのことです。
私、こだわりの強い父母の子でして、こだわりが強いご家庭育ちですので、何事も気に入ったものしか使いたくないってタイプの人でして、こだわりが強いのです。しかし、使わず捨てるのもあれです。キープして数年、亡くなる人は増え続け、タオルは山のように積み重なりました。塩は捨てたけど、集めてたらきっと塩釜焼きぐらいできそうだった。そういえば鯛の塩釜焼きよりぷくぷくたいの方が8倍ぐらい好きですし、安いです。安さは何十倍も安いです。
タオルばかりではありません、いつの葬式ぶんか分からない箱を開けるとバブが入っていました。
前の家はご好意でかなり安くて広い家だったのですが、きれいにされているものの古い家でしたので、風呂もなかなか古めかしい感じの風呂で、私は4年間で一度も浴槽に入ることはありませんでした。さらに温度も規則性がなく、冷たいかと思いきや火傷するぐらいの熱湯が出る。そしてまた一瞬で水が優勢に。無双3の五丈原の戦いの士気ゲージぐらい水とお湯のせめぎ合いが続き、浴槽いっぱいにお湯を貯めようとしたらどのような温度になっているか検討もつきません。
一転して新居、快適な最新鋭の設備(追い炊き)まで完備されていてお湯も安定。なめくじも出ない。そんな時に発見したのがそのバブの箱でした。
「こいつを、ポチャンと入れてやるのはどうだろう。」
私は4年間シャワーで貫き通すことができるように、風呂にそこまでの執着はありません。決して長湯するタイプでもなく、ラーメンでいうとバリカタぐらいの速度で風呂を上がります。ですがこのバブというものに、何とも言えぬただならぬ高揚感を抱いていたのです。
私が使用したのは森の香りとかいう緑になるやつでした。
森の香りってウインナーありましたけど、多分ウインナーの香りではありません。
安定した温度の湯船の中にバブを、大事に育てたメダカを川に返すように両手でそっと入れる。湯船の底に沈むバブ。
泡を吐き出しながら溶けゆくバブをしばらく眺めながらふと昔の思い出を思い出した。
まだ小学生の頃、兄と一緒に風呂に入っている時、
「バブを溶かしながら風呂に入るとぶくぶくしていいんだ」と兄が教えてくれた。
そうなんだと体を洗いながらその様子を見ていた。
しばらくすると突然、寡黙な兄が叫び出した。
「バブが!!おしりに!!!うわああああ!!」
解説:バブはある程度小さくなると浮く。
兄のおしりにくっつきながら泡を吹き出し、バブは消えていった。
そんなエピソードを思い出していた。
しかし、浮上しておしりに当たるということは兄は最初からバブの上にまたがっていたということじゃないかと今になって気づいた。
なぜそんなことをしたのか、寡黙な兄がとった行動に何の意味があったのか。
もしかしたら私を笑わせるためにしてくれたのかもしれない。
未だに兄という人物を詳しく知らない。
そんな兄の結婚式が多分来週に控えている。
詳しい日程も場所さえもよく知らない。だけどそうやって今まできた。
知っているかどうかと信頼は必ずしもイコールじゃないってことだなぁ。
そんなこっぱずかしいことが一瞬だけバブのように浮かんでは消えていった。
森の香りに包まれ、新生活の疲れを癒した昨日のこと。
tennguman
バクという幻獣
夢を見た
今年2回目の夢、いわゆるかいわゆらないか知らんけど準初夢だ。
準初夢で見るべきなのは
一高尾山、二トンビ、三チューヤン
ぐらいなのでしょうか
夢の内容としては、特に面白い点はないのですが、
数年前に大きな岩にマジックで小さな点をつけたという友人が、岩のどこにつけたか忘れたらしく泣き出し、それを30人ぐらいで探しに山奥へ行くというものでした。
今思えば、その山が高尾山であればいいですね。
私は恐ろしく夢を見ません
バブル崩壊後の悪化していく経済や、なんとなく重たい空気になっていく日本しか見ていない世代だからだ!とかそういうことなのかもしれません。
昔々何かで聞いたことがあるのですが、夢を見ないという人も実は夢を見ているけど、それを起きるときに忘れているだけという説もあるそうです。
もしそれが本当ならもしかしたら私の夢は、
・ぐちゃぐちゃで記憶するに至らないほど形を成していない
・起きる直前に検閲されて夢の持ち出しが禁じられている
だいたいはその2択なんだろうなと考えています。
本日はその後者の話です。
私はきっと悲しい夢を見ています。
それを現世へ持ち帰ろうとする私に検閲官が声をかけます。
「あんたぁ、それを現世に持ち帰ろうってのかい?そいつぁ野暮だねぇ...」
ああ、なんて優しい検閲官。
私は家族、友人共に恵まれていたが、まさか夢の検閲官にすら恵まれていたとは。
悲しい夢を見る人はきっと働き者の検閲官ではないのでしょう。
子どもの頃からずっとそう考えていた。
バクという夢を食うやつがいるらしいと知ったのは小学生の頃だったか。
夢を食うなんてなんてファンタジーな!私はそう思った。
なるほど、私の場合は検閲官だったが、昔の人は夢を覚えていない現象をこのような幻獣に置き換えたのか。やるな!とも思った。
それからというもの、バクの虜だった。
家庭科の授業で作るナップサック、ドラゴン柄のドラゴンボーイたちのように。
きっとバク柄があれば迷わずそうしていた。
火を噴くだけの空飛ぶトカゲを空想するより、夢を食うというムーディーな設定がたまらなく良かった。そしてこのフォルムもよかった。黒と白。丸っこいデザイン。実際に存在してそうで、浮世離れしているシンプルさ。無印良品ぐらいにしか出せない味だ。
そう、私はバクが現実に存在する生き物だと知らずに生きてきた。
私がバクが実在すると知ったのは大学生の時だった。
ネットで何気なくバクを検索するとそこに現れるリアルな写真たち。
「何の映画?ハリーポッター?」などと思ったと思う。
動物園のホームページすら堂々と嘘をついている。バクが4匹います!
wikipediaは嘘の情報ばっかりって聞いてたけど、こんな露骨に嘘つくのか!なんだよ分布って!夢の中じゃないのか!?
その焦りとともに高揚感もあった。
私の中ではバクはドラゴンと同類であり、空想上の生物だと思い込んでいたためだ。
ドラゴンがこの世に存在する。それを成人前後で知る。革命だった。
すぐに最寄りのバクのいる動物園を調べた。
まあまあ離れた場所だったので、その時を待った。
数年前、時が来たのだが、記録的大豪雨。交通網が遮断され断念。
それ以来まだ会えていない。
会えていないので、私の中ではバクは今でも動物ではなく幻獣である。
今年こそは会いに行こうとも考えたが、
そのとき降った雨は、バクが私にまだ夢を見させてくれるために降らせたのかもしれない。
バクは夢を食べるだけではなかった。
私はまだ夢を見れている。
tennguman
巨人のレイサムについて私が知っていること
仕事でミスをしてしまった。
少し時間に余裕があり、給湯室にできたコーヒーのシミが目立ったいたので、
それをスプレーでしゅっしゅして掃除していたところ、スプレーを誤射し、コーヒーメーカーのコンセントにシュート。
それ以降オフィスがコーヒーの香りに包まれることはなくなりました。
いつもこうだ
私はドジっ子なのかもしれない。
大学サークルにて、大学側が部室の点検に来るという知らせを受け、
他サークルから貰った酒類を隠さねば!と思い、みんなで掃除していた時、
私はさつま白波の瓶を落として割ってしまった。
それ以降部室が白波の香りに包まれることになりました。
なんだというんだ
振り返れば私の善意は凶器になりうる。
良かれと思ってやったことが裏目に出てしまう。
初めからこんなことしなければ、、
自分の善の行いに対しての自責の念が襲いかかります。
そんな時にいつも心の中に現れてくれる一人の助っ人がいます。
私は野球全然詳しくないのですが、彼が心の救いであります。
2003年に巨人で活躍された外国人助っ人なのですが、
まだツーアウトなのに観客席へボールを投げ入れてしまうミスをしてしまい、
結果として巨人は一点とられてしまいました。
レイサムについて私が知っていることは以上です。
兄が野球好きということもあり、偶然この中継を見ていた私は興奮を抑えきれず、
次の日学校で普段話さない野球好きグループの人たちに話しかけ、
昨日のレイサムの話題で盛り上がったのを覚えています。
野球については本当に詳しくないものですから、
プロとしてあるまじきことだとかそんなのは知らないですし、
そもそも彼以外にもこのような過ちを犯した選手がいるのかもしれませんし、
ましてや日常的にあることなのかもしれません。
しかし、私の中でレイサムがした行為はとても輝いて見えました。
きっと彼はファンサービスがいいのでしょう。
サインを求められても嫌な顔ひとつせず応じてくれるのでしょう。
そんな彼の性格が災いしてこのような痛ましい事件が起こってしまったのです。
心のレイサムはいつも教えてくれます。
「1点失っても、次にお前がホームランを打てばいい。(レイサムは全然活躍していないそうですが)でも、善意を失ったらもう取り返せないんだよ。」
「ありがとうレイサム…」
私は泡まみれのコンセントに呟いていました。
今も巨人で頑張っているのかい?
私たちはまだツーアウトだぜ。
tennguman
檸檬とLemon
えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。
気圧に伴う偏頭痛や慢性的な腹痛がいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。
以前私を喜ばせたどんな見すぼらしくて美しいSNSのサブカルチャー投稿も、どんな見すぼらしくて美しいインディーロックバンドも辛抱がならなくなった。
廃墟の写真を撮りにわざわざ出かけて行っても、同類の二三人で不意に帰ってしまいたくなる。何かが私を居堪らずさせるのだ。それで始終私は家に引き篭もり続けた。
何故だかその頃私は純粋に美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。
音楽にしてもスタジオミュージシャンが奇を衒わずじっくりと作成するような水瀬いのりの曲が好きであった。
時どき私はそんな曲を聞きながら、ふと、そこが人口数万人のクソ田舎ではなくて何百理も離れた浜松町とかーーそのような市へ今自分は来ているのだーーという錯覚を起こそうと努める。私は、できることなら田舎から逃げ出して隣の老人が野菜を持ってこないような市へ行ってしまいたかった。希わくはここがいつの間にかその市になっているのだったら。ーー錯覚がようやく成功しはじめると私はそれからそれへ想像の絵具を塗りつけてゆく。私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。
私はまたあのFallout4というやつが好きになった。ゲーム内容そのものは第二段として、昨今の流行に乗らず、あの他プレイヤーとの交流要素を一切排除してひたすらにソロでプレイするしかない。そんなものが変に私の心を唆った。
それからまた、文化放送というやつが好きになった。声優アイドルが「ちょっと、作家さん」とけらけら笑うラジオを嗜むのが私にとってなんともいえない享楽だったのだ。あのびいどろの味ほど幽かな内容しかない安っぽい企画があるものか。私は幼い時よく外で友達と遊んできなさいと父母に叱られたものだが、その幼時のあまい記憶が大きくなって落ち魄れた私に蘇ってくる故だろうか、 まったくあの番組には幽かな爽やかななんとなく詩美と言ったような聴覚が漂って来る。
察しはつくだろうが私にはまるで協調性がなかった。とは言え少しでも心の動きかけた時の私自身を慰めるためには投稿が必要であった。2,3人のフォロワー。――と言って同調できる人。――そう言ったものが自然私を慰めるのだ。
心がまだ蝕まれていなかった以前の私の好きであった所は、たとえばInstagramであった。スターバックスのコーヒー。洒落たキャプションを添えた今日の空模様。セピア色した部屋。そして1,2のいいねをもらい、アンダーグラウンド感というかサブカルチャーを担うものとしての使命感を感じるのだった。しかしここももうその頃の私にとっては重くるしい場所に過ぎなかった。#ファインダー越しの私の世界、#写真好きと繋がりたい、#フォトジェニック、これらはみなコミュニケーションの亡霊のように私には見えるのだった。
ある朝―—数年前に引っ越して以来、より一層空虚な空気のなかにぽつねんと一人取り残されたのだが―—最近買ったバイクで隣の町まで彷徨い出て、そこの見たこともないスーパーの前で足を留めた。そこは決して立派な店ではなかったのだが、スーパー固有の美しさが最も露骨に感ぜられた。
その日私は夕飯の惣菜を購入しに来ていた。近所のスーパーの惣菜は食い尽くしてしまったので、遠くへ来たわけである。この店では近所の飲食店と提携してそちらで作ったものを惣菜として取り扱っているようだった。店で食べずとも店の味を楽しめるのだから素晴らしかった。
その日私はいつになく店内をうろついた。というのはその店でLemonが流れていたのだ。
Lemonなどごくありふれている。がその店の見すぼらしさとのミスマッチが私を興奮たらしめた。いったい私はあのLemonが気になりだした。米津玄師などという世代でもないのでほとんど聞いたことがなかったのだが、レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な曲調も、それからあの歌声も。――結局私は月のデータ容量2GBを惜しげもなく使ってSpotifyで聞きながら帰ることにした。がどうしたことかLemonどころか米津玄師すら無い。夢ならばどれほどよかったでしょう。ウェッ。――結局私はこれも何かの縁と青果売り場で檸檬を一つだけ買うことにした。(ちなみに私は柑橘アレルギーだった)それから私はどこへどう帰ったのだろう。私は長い間運転していた。あんなに執拗かった憂鬱が、そんなものの一顆で紛らされるーーあるいは不審なことが、逆説的にほんとうであった。それにしても心というやつはなんという不可思議なやつだろう。
実際Lemonの単純さが、ずっと昔からこればかり探していたのだと言いたくなったほど私にしっくりしたなんて私は不思議に思える。
檸檬自体には何の興味も湧かなかったがそういえば昔そんな短編小説を国語で習ったなと思い浮かべては、夕日の沈む海を眺めながら青空文庫を開いたり、またこんなことを思ったり、
ーーつまりはこの重さなんだなーー
その重さこそ常づね尋ねあぐんでいたもので、疑いもなくこの重さはすべての善いもの美しいものを重量に換算して来た重さであるとか、思いあがった諧謔心からそんな馬鹿ことを考えてみたりーーなにがさて私は幸福だったという点と檸檬/Lemonという点で共通していたのである。
私が最後に開いたのはInstagramであった。平常あんなに避けていたInstagramがその時の私にはやすやすと開けるように思えた。
「今日は一つ開いてみてやろう」そして私はずかずか開いて行った。
しかしどうしたことだろう、私の心を充していた幸福な感情はだんだん逃げていった。楽しげにはしゃぐストーリーにも、今日も届いた結婚しました!の投稿にも私の心はのしかかってはゆかなかった。憂鬱が立て罩めて来る、私は長旅の疲れが出て来たのだと思った。私はタイムラインを遡ってみた。指を縦にスワイプするのさえ常に増して力が要るな!と思った。しかし私はいつの間にできた複数枚投稿も一枚ずつ見てはいく、そして見てはみるのだが、克明にスワイプしてゆく気持はさらに湧いて来ない。しかも呪われたことにはまた次の投稿を見る。それも同じことだ。それでいて一度パラパラとやってみなくては気が済まないのだ。それ以上は堪らなくなってiPhoneをそこへ置いてしまう。ホーム画面へ戻すことさえできない。私は幾度もそれを繰り返した。とうとうおしまいには日頃から大好きだったカフェの画像までなおいっそうの堪えがたさのために置いてしまった。ーーなんと呪われたことだ。手の筋肉に疲労が残っている。私は憂鬱になってしまって、自分が遡ったタイムラインを眺めていた。
以前にはあんなに私をひきつけたInstagramがどうしたことだろう。一枚一枚に眼を晒し終わって後、さてあまり尋常ではない周囲を見廻すときのあの変にそぐわない気持を、私は以前に好んで味わっていたものであった。…
「あ、そうだそうだ」その時私はバッグの中の檸檬を憶い出した。タイムラインを最初まで戻して、一度この檸檬で試してみたら。「そうだ」
私にまた先ほどの軽やかな昂奮が帰って来た。私は手当たり次第に撮影し、また慌ただしく編集した。色を強調したり、薄くしたりした。奇怪な幻想的な城が、そのたびに白黒になったりセピア色になったりした。
やっとそれはでき上がった。そして軽く跳りあがる心を制しながら、そのタイムラインの頂きに恐る恐る檸檬を据えつけた。そしてそれは上出来だった。
見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。私はワイワイしたInstagramの空気がその檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。
私は変にくすぐったい気持がした。「ブログ書こうかなあ。そうだブログに書こう」そして私はタスクキルして行った。
変にくすぐったい気持が砂浜での私を微笑ませた。Instagramのタイムラインに黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪なアイムアルーザー。もう十分後にはあのInstagramが大爆発をするのだったらどんなにおもしろいのだろう。
私はこの想像を熱心に追求した。「そしたらあの気詰まりなInstagramも粉葉みじんだろう」
そして私は5時過ぎたら人がほとんど消える奇体なド田舎へ下って行った。ウェッ。
tennguman
From帝国toELT~圧倒的タイムラプス論~
BARKSをご覧の皆さん、こんにちは、tenngumanです
だいたい伊藤家の食卓が崩壊したかどうかぐらいの時期の話なんですけど、
当時BARKSで好きなアーティストをフォローしまくって、横(サイドバー?)にサムネイルてずらーっと好きなアーティストの画像が並ぶのを見ながらライフガードを飲むことが生きがいでした。
いまでこそiPhoneとかでサムネつきで好きなアーティストの羅列を見ることは簡単でしたが、当時は好きなアーティストを羅列するにはCDを買って並べるほかありませんでした。
「大人になることって?BARKSで1000アーティストフォローすることさ!」
その意気も虚しく次の年ぐらいにはmixiで「1人好きの寂しがり屋さん」みたいなコミュをフォローする名誉根暗大使っぷりを発揮する高校生になってしまった。
並べるという行為
大使になったと同時期にipod touchが発売になりまして、カバーフロウをぐいんぐいんしてニヤニヤしてました。
後に意味の分からないタイル表示になり、しまいにはなくなってしまいましたが。
まさに今日、新iosがリリースされました。
私はいつだって待っていて、そっと再生画面で横向きにしてみては、
無くなったかつてのカバーフロウに思いを馳せるのでした。
國破れて 山河在り
かつて中国の偉い人が言いました。誰かは忘れました。トホホ。
ちなみに中国で偉いかどうかはチャージ攻撃のリーチで決まるらしいです。
要は戦争で国がめちゃくちゃになっても自然の美しさは変わらんのです
みたいな意味ですよね。
今日は音楽から離れて、そんな国と戦争についての話です。
かつて「1人好きの寂しがり屋さん」を集め、栄華を極めた国がありました。
名をきのこ帝国と申します。
文献によると
シロップが大好きな甘党やアートの学校を卒業した人とかが移民としてやってきたらしい
ケッペンの気候区分でいう亜寒帯湿潤気候の地域になります。
すげぇ寒いし、なんかしっとりしてるし、夜は長い。
古館アナもこの国のことを
「さぁ、ファズギターが鳴り響いて参りました!午前三時、町は完全に眠りについておりますが、これから夜襲をかけると言ったところでしょうか!憂いを帯びた歌声が放つきのこの胞子はさながら火の矢のように群衆から群衆へ燃え広がっています!まさにシューゲイザーの本能寺の変!!これこそが1人好きの寂しがり屋さんが待ち焦がれた巨大帝国だーーー!!!」
と語っています。
渦時代→ユーリカ時代→花束時代→クロノス時代
細かく分けるとこのようになりますが、非常に長い歴史を持つ国でした。
しかし、国も生きているのです。
やがては死んでしまいます。
帝国の圧政からの革命か、はたまた外国との戦争か、
当事者ではない私には考えても仕方のないことです。
そして新しい国が誕生しました。
外見は何ら変わっていないように見えますが、
中身は全く違う国が誕生したのです。
(参考)ハローマック跡地にできた靴流通センター
それがきのこ共和国(通称猫時代)
迫りくる民主化の波、帝国というスタイルはあまりにも時代錯誤だったのかもしれません。
人によってはすでにクロノス期から実質的に民主化していたという学説もあります。
この民主化によって国の雰囲気がガラリと変わります。
非常にわかりやすく例えるなら深夜番組がゴールデン進出した時の気持ち。
国民の多くはそんな感情を抱き、次第に他国へ亡命する人が増えました。
楽曲についても夜感が薄れ、あふれ出る昼間。
非常にわかりにく例えるなら、漫画「勝手に改造」1巻からいきなり最終巻を読んだ時の方向転換、絵の変化。それぐらいの衝撃がこの時、この国を襲いました。
それから約1年
時代は再び混沌としています。国のゆくえ、誰にもわかりません。
ここには帝国の面影はおろか、共和国の面影すらも残っていないように感じます。
猫時代からの住民はきっと驚きを隠せないでしょう。
また、帝国時代からの住民はまさか自分自身がアレルギーになるとは思わず、
ここからは知らないという人も多いかもしれません。
余談ですがクラッシュバンディクー3から4、ロックマンX3から4、ラチェット&クランク3→4
3→4ってのはゲーム界のフロリアントライアングルと呼ばれるほどに、大幅な変化があるように思います。
ちなみに私はこのなんとも言えないふわふわした空気感がとてもマッチしてこの時代が一番好きだったりします。
帝国期の深夜感がAM3、共和国期がPM3だとすると、この時代はPM8ぐらいはあると思います。(西日本基準)
そして現在に至ります。
先週約2年ぶりに新譜が出ました。
タイム・ラプス。
帝国から民主化し、共和国が誕生したものの、
混沌の時代を迎えたこの国の更なる、行く末。
結果はこんな感じでした。
圧倒的昼間。攻守はバランス型。
スコアだけ見ると猫と近いように見えますが、
3次元的に見ると大きな違いに気づきます。
ELTです。
帝国→共和国→ELT。
だからきのこ帝国というバンドが好きだ。とそういう話です。
このタイムラプスというアルバム、初回盤には帝国時代の原点のミニアルバムがセットでついてきます。こいつぁ買いだね。
こちらからは以上です。
今週の新木場で お会いしましょう。
次回は水瀬いのり、いのり町の成り立ちについてです。
tennguman
WANIMAのボーカルがMV中ベースを弾いている割合についての報告
クラスメイトの女子が「この曲めっちゃ泣けるよー」つってやたらHYを薦めてくる時期、ありますよね〜
こんにちは、小林製薬のような文頭で失礼します。
「HYで救われるような気持ちなんてすでに救われてんだよ!!柴田淳聞けよ!」と思いながら、「へー、でも俺泣きたくなんねぇから、エルレかトライプレインしか聞かねぇから」と答えていました。中学の時の私は今より少しばかりトガッていました。そりゃ誰でもそんな時期ありますよね。
MDウォークマンのコントローラーを胸元にクリップで付けて体中に線を張り巡らせて塾に通う少年でした。あのメカに包まれる感覚は今のワイヤレス文明には無いものです。ぱっと見ほぼロボですから。いつか自分がMDウォークマンに乗っ取られて殺戮を繰り返す暴走マシーンと化したときは、どうぞ胸元で青白く光るコントローラーを撃ち抜いてください。
MDウォークマンのEQについての結構マニアックな話をしたいのですが、そろそろ本題へ入りたいと思います。もし私を道で見かけたときは「MDウォークマンのEQについて書け」と視線を送ってもらえると幸いです。
GWの帰省時にバスに乗って思ったのですが、バスの運転手は対向車線に同じ会社のバスがすれ違う時、手をあげるの知ってますか。
「おっすおつかれー」の意なのか、「バスジャックされてません、俺は無事です!」の確認の意なのかわかりませんが、結構カーブ曲がるときとかも平気で手をあげるもんですから、「お前そりゃミイラ取りがミイラになっちまうよー!」と心で叫んだ瞬間。瞬間最高視聴率19.1%なわけです。
ミイラ取りがミイラになるという表現が大好きで最近家で一人でずーっと言ってるのですが、よく考えたら意味がわかりません。
急に本題に
さて、WANIMAのボーカルです。ベースボーカルです。
WANIMAのボーカルです。
いずれもYouTubeのサムネっぽいとこの切り抜きです。
WA
ということで、WANIMAのボーカルがMVの演奏シーンの中でベースを弾いてるシーンの割合を調査してみました。
YouTubeのWANIMAのPV5つランダムにピックアップし、調査しました。
ルール
①MVの中のボーカルが映っている演奏シーンの時間のみをカウントします。(ボーカルが映っていないシーンではカウントストップ)さらにその中でベースを弾いていることが確認できる時間をカウントし、その割合を算出する。 ベースカウント/演奏カウント
②曲中ベースが明らかにない箇所は、演奏シーンであっても演奏カウントを進めない。また、両カウントは最初のベース音が鳴り始めてから最後のベース音が鳴り始めるまでの間とする。(わかりにくい人はTAS動画と同じ基準だと考えてください。要は最初のベース操作から最後のベース操作までということです)
③スローモーション等、明らかに曲と合わないシーンでも弾いていることが確認できるならその映像の尺分、両カウントを進めます。
④演奏しているしていないのジャッジはベーシストである私の基準です。オフィシャルな調査委員会は今回は通してませんので、あくまで非公式のデータとしてご確認ください。
それでは第5位。
THANX / WANIMA
MV尺 3:55
内演奏シーン 2:07(演奏カウント)
内ベース演奏 1:12(ベースカウント)
結果
56.6% (72/127(秒))
バスの運転手の両手ハンドル時間ははだいたい90%を越えてきますが、
WANIMAのボーカルは5位の時点で56.6%の両手ベースです。
残りは手を上げたり指差したりしているということです。同業者とすれ違っているのでしょうか。だとすると音楽業界における広い繋がりが感じられます。
4位
CHARM / WANIMA
WANIMA「CHARM」(OFFICIAL MUSIC VIDEO)
MV尺 3:59
内演奏シーン 3:06(演奏カウント)
内ベース演奏 1:40(ベースカウント)
結果
53.7%
ベースが長音の時は100%腕をあげますが、その時は最初の音を弾く動作が見受けられたら音源通りちゃんと演奏していることになるので、ベースカウントのボーナスポイントですが、鳴らしてないとその長音中稼ぐことができません。それで損している印象。まぁジャッジは曖昧ですので、そんな真剣に考えないでください。
再測定したらもう少し%は増えそう。
3位
ともに / WANIMA
WANIMA -ともに Full ver.(OFFICIAL VIDEO)
MV尺 3:45
内演奏シーン 2:59(演奏カウント)
内ベース演奏 1:08(ベースカウント)
結果
37.9%
4位までとの格の違いを見せつけ、過半数を切る大躍進。
その決め手となったのはやはり指差し確認。プロドライバーとしての自覚が芽生えた作品なのかもしれない。曲は結構好き。でも1:58ぐらいでギターがやってる動きは、FUJIWARAの原西だったかのダンスのネタのやつ。誰のダンスか思い出せずもやもやが残る。
2位
シグナル / WANIMA
WANIMA「シグナル」OFFICIAL MUSIC VIDEO
MV尺 4:34
内演奏シーン 2:11(演奏カウント)
内ベース演奏 0:30(ベースカウント)
結果
22.7%
ベース演奏時間約30秒。珍しいものは人を惹きつけるということなのか。なんとなくWANIMAの魅力がわかってきた人も多いのではないでしょうか。お!弾いてるぞ!!とそういう楽しみ方もあるのだなぁ。漫画家の冨樫先生が休載しまくるあまり、何週か続けて連載するだけで褒められるあれと一緒のような。靴下をピンと伸ばして履いていたので、カウントは甘めにつけたので、次回は1位を取れるかもしれません。
1位
ララバイ / WANIMA
WANIMA「ララバイ」OFFICIAL MUSIC VIDEO
MV尺 3:04
内演奏シーン 1:42(演奏カウント)
内ベース演奏 0:18(ベースカウント)
結果
17.6%
調査が難しい。音を切るとことかが多すぎてまともに測れていないのも事実。
俺がWANIMA聴いたことが無いのが悪い。予習不足だった。ごめんなさい。オフィシャルな調査委員会に要検証です。ただ弾いていないこともまた事実。両手離しも多く見受けられる。ドライブ中に聴いてはならない。そして余談だが、このPVのコメ欄に「この曲こそまさにWANIMAって感じだぜ!」みたいなコメがあって、賛否両論だったけど、WANIMA歴1時間の俺が言うのもあれだが、この曲は私のイメージするWANIMAではないな。
以上の調査結果です。
次回、水瀬いのりのPV中、水瀬いのりがかわいい時間の割合でお会いしましょう。
tennguman